JR川崎駅の南西方向に見える台地状の独立した丘は、神奈川県北東部と東京都の八王子・町田方面に広がる多摩丘陵の離れ丘陵で、地元では加瀬山と呼ばれています。標高30メートル余りのこの丘は、古くから江戸湾を一望できる景勝の地として知られ、今日では別名「夢見ヶ崎」の名で親しまれる市民の、憩いの場になっています。
加瀬山はまた、古墳の多い山としても知られており、1937年(昭和12年)に西の西端に位置する白山古墳から三角縁神獣鏡が出土し、さらに昭和17年にその周辺から秋草文壺(国宝に指定)が発見されたことによって注目されました。1970年(昭和45年)の墳丘調査では5世紀から8世紀の円墳が9基確認され、古墳の多いところとして有名でしたが、大正時代以降、この丘も川崎市に進出してきた企業の工場用地や住宅地の盛り土に使うためたびたび削られ、南加瀬貝塚や白山古墳など消滅してしまった遺跡も少なくありません。
戦後、工場地を囲む形で住宅地も増加し、さらに昭和40年以降公害が 次第に社会問題化するにつれ、工場立地規制の影響もあって、工場の郊外移転が見られるようになりました。
南武線と横須賀線にはさまれた工場跡地には、業務・住居機能を備えた高層建築群が完成し、景観を一変させています。