多摩川右岸中下流の平野部と多摩丘陵を舞台に展開した川崎市域の歴史を展望するとき、影向寺のある宮前区の野川台とその周辺は、まるで原始・古墳から中世の歴史を集約するように豊かな文化の遺産を残している。
なかでも影向寺は中国大陸から仏教が伝来して間もない7世紀後半の創建、すなわち法隆寺と同じ頃に起源をもつ古刹と考えられます。この時期は小台国家の確立期にあたり、当地方は武蔵国橘樹郡に位置付けられます。郡の行政は郡役所である郡衙(ぐんが)によって行われましたが、郡司には当該地方の有力豪族が任命され、彼の私宅が行政府となっていくケースが多かったため、一般に郡家といわれました。
平成14年、この(推定)橘樹郡家の遺構の一部が、影向寺の近くから発見され話題となりました。
影向寺は平安時代後期に造立された重文薬師三尊像を現本尊とし、今日まで法燈を伝え多くの文化財や伝承、そして年末の歳時記として有名な「影向寺の市」を伝えています。
そこで、郡家と影向寺の変遷を中心に歴史の舞台にスポットをあて、散策の栞として活用していただけるよう編集しています。
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