多摩丘陵に連なる下末吉大地にある宮前区の南半分。地形は、小さな谷が入り込み、起伏に富む。また、台地の表層は、厚く堆積する富士山の火山灰(関東ローム)に、腐食した枯れ草などが混ざった土壌に覆われている。この土は肥沃で水はけがよく、台地では古くから麦などの畑作農業が行われてきました。明治以降は東京に近い利便を生かして、需要の多い花や野菜など、新たな農作物が積極的に導入されました。その中で、梶ヶ谷のネギ、馬絹の花、有馬の栗、土橋の竹の子などがよく知られています。
花づくりや野菜づくりに加えて、昭和30年代から植木の生産や梨の栽培などが新たな試みとして取り入れられました。しかし、1966年(昭和41年)の田園都市線「溝口ー長津田」間の開業や、東名高速道路の開通(1968年)などにより地域は宅地開発が急速に進みました。
現在、農業も都市近郊型への転換が図られ、農家も減少している。けれども、地元には江戸時代から続く庚申講や護摩炊きの講などの民俗行事が伝えられ、残された自然景観のなかに、かつての農村的な風景を見ることができます。
総合案内板は「宮前南廻りルート」となっていますが、総合案内板を建てた後に「稲毛の丘ルート」と名称が変わったことによるものです。
北回りルートにはガイドパネルは設置されていません。
(神奈川県や川崎市教育委員会で設置したものは多数あります。)