天下統一をなし遂げた徳川家康は、まず街道の整備を始めました。五街道、とりわけ東海道は特に重視され、参勤交代が確立する1635年(寛永12年)ころには五十三宿が整い大名行列の大半が通るようになり、それにつれて多くの物資が行き交い、東西の文化交流が活発になりました。
川崎宿は、1623年(元和9年)につくられた宿で、今の小川町のあたりから六郷橋まで小土呂・砂子・新宿・久根崎の四町で構成され、東海道を上がる旅人の昼食・休憩地として、また下る旅人には六郷の渡しを控えた最後の宿泊地としてにぎわった宿場でした。江戸時代の後期になると一般庶民のなかに経済的なゆとりもでき、遊山や参詣のための往来が頻繁となり、より一層の活況を呈しました。
また古くから庶民の信仰を集めた川崎大師は、11代将軍家斉が1813年(文化10年)に公式参拝して以来、将軍家の帰依を受け一層広く信仰されるようになりました。日帰り参詣のできる関東屈指の霊場として、江戸からの参詣客が絶えませんでした。江戸と京都を結ぶ東海道、その宿駅として、また大師参詣の拠点として栄えた川崎宿でした。